富山城・富山市郷土博物館:
富山市郷土博物館(
富山城)は、昭和29年に戦災復興事業の完了を機に開催された、
富山産業大博覧会の記念建築物として建設されました。3重4階建ての城郭を模した建物で、博覧会の会期中は「美の殿堂」として各種展覧会が開催され、終了後の同年11月、郷土博物館として開館しました。以来、半世紀にわたって郷土の歴史・文化を紹介する博物館として活動を行ってきました。平成15年からは、約2年半にわたって耐震改修工事およびディスプレイ整備を行い、同17年11月、中世以来の
富山城の歴史を紹介する博物館としてリニューアルオープンしました。また、建設から50年目にあたる平成16年には、
富山市のシンボルとして、戦災復興期を代表する建築物として、国の登録有形文化財に登録されています
歴史:
富山城は、天文元年に水越勝重によって築かれ、後に勝重は神保長職と名を改めた。 その後神保氏が3代に渡って居城した。
天正4年、越後春日山城主上杉謙信は富山城の神保氏を追い、家臣の小笠原長隆・上杉信定を置いた。
天正7年、織田信長は
越前小丸城主佐々成政を富山54万石封じた。 成政は、城を改修し城下町の整備を行った。 その後成政は、信長の死後の後継者争いで反秀吉の立場をとるが、柴田勝家滅亡後、秀吉の軍門に降った。 天正15年の豊臣秀吉の九州征伐後、成政は肥後熊本城へ転封になった。
慶長5年の関ヶ原の戦功により金沢
城主前田利長は、加賀・能登・越中の3ヶ国120万石を得た。 慶長10年に利長は隠居して富山城に移るが、慶長14年に主要部の建物をことごとく焼失したため、高岡城を築いて移った。
寛永16年、3代前田利常は、次男利次に10万石を与えて分家させた。 利次は、廃城と化していた富山城を修復、寛文元年に入城して富山藩が成立した。 以後富山前田氏13代の居城として明治に至った。
詳しくは
富山市郷土博物館
http://www.city.toyama.toyama.jp/etc/muse/index.html
PR